卒論再読

留学生活もそろそろ終わりに近付いている。現在学期末レポートやプレゼンテーションにとりかかりはじめている。
建築経済・法律に関する授業の最終課題が、講義のトピックに関連していればなんでも自由に発表できる。卒論をもう一度読み返しテーマを絞ってプレゼンすることにした。全3回のエスキスを終え、20分の英語プレゼン作りに挑んでいる。

卒論。卒計をおえて1,2年は向き合う気になれず、はじめは気乗りしなかった。が、こちらにきてポートフォリオをつくりながら、ほこりを落とす機会を無理にでもつくらねば前に進めないような気がした。
卒論は「都市の地下空間論―新宿西口を中心に」という題で、新宿の地下が今日いかに複雑であるのかを、歴史・空間を実証的に調査して分析した。作業を振り返ると、課題を提出したことよりも、多くの人に支えられてきたことに改めて気づかされた。アドバイスを受けてはぶつかって、悩んでは背中をおしてもらった。

指導教官I先生の熱心なご指導賜わりさらにはご好意に大いに甘え、研究室の先輩や同期の友人に相談にのってもらい著書・知人の方を紹介していただいたり、おんぶにだっこであった。先生の出張地にファックスで送信した原稿をみていただいた。卒論提出の深夜・明け方にどうしても結論がかけなくて泣きながら先生に電話をした。先生はとても親身にみてくださり、さんざん迷惑をかけた愚生徒をつきかえすことなかった。話をつづけると卒論の謝辞よりも長くなるので今回は途中で終える。

見返すと120ページ。われながら実に多くの資料と調査をしたものだ。ベルギーの課題では「建築と施主のアサインメント」のテーマのもと、週1こちらの教師の方にエスキスでみてもらいながら個人作業でまとめている。

先生や先輩の受け売りだが「卒論は過程が大切だ」と思う。疑問をぶつける大チャンスが卒論、卒計である。エスキスでは考えてきたことを自分のなかにしまってきたことを外に出す。普段では恥ずかしく面倒でもあることだが、「卒論」は特別である。卒業論文を口実に、先生や研究室の方に話を聞いてもらえるのだ。同期がともに闘っているひとがいるのも頼もしい。草稿時には製図室の上で書き、くだらないことをみつけては友達と談笑していた。最高に面白い時間だ。さらに「卒論」といえば、資料も手に入りやすい。N先生に建築事務所を紹介していただきインタビューさせていただいたこともあった。
「卒論・卒計」はさまざまな経験が自由にできる機会だと思う。じっくり何かと向き合うのもよし、口実をみつけて誰かにアタックするのもよし。失敗をおそれず、問いを立てては答えをみつけにいけばいいと思う。エスキスのたびにストレスを感じることはない。恥ずかしがってたてた問いを自分の中だけにしまっておくのはもったいない。見つけた喜びを近くの人と共有できるのも卒論の強いところだ。




過去の作品を再読する勇気がでたのも、学期末の提出物というプレッシャーと、友人に借りた「磯崎新の『都庁』」(平松剛、2008年、文芸春秋)のおかげ。磯崎アトリエ出身の巨匠の方々さえも師の前ではときに失敗を恐れ杞憂したり遠慮したりすることもあったのかとしり、ほっとする。元所員さんの声以外にも岸田日出刀、丹下さんの話を交えながら、師として、アトリエのボスとして、そして生徒としての磯崎さんの半生を描いていて、非常に面白い。磯崎さんの言葉をダイレクトに引用し当時を鮮明に描写してあり、読み手の目の前でやりとりがされているかのようだ。とても頭に入りやすい。なにかに行き詰った時に読むとスカッとし、勇気がでて、前に進む気になる。