レズ・ゲイデーつづき グローバルに考えて

ブログアップの関係で前後してしまったけれども、ゲイパレードからの考察を。


個人的に国や性別を超えて人を好きになるのは良いと思っています。ゲイパレードのような盛り上がりも好きです。
でもどーしても気になること。

いわゆるグローバルソングと呼ばれるものを通じて年齢も国境も関係なく誰もが参加できるみたいな形が我慢できないです。
みんな一緒だよ、という活動に、「ワールドミュージック」というワールドなのかどうなのかというものを媒介していいの?その音楽自身がすべての人に理解されているという前提条件、それを疑っています。くだらないけれども、最強のワールドミュージックは「ジャイアンのうた」だと思っています。


朝から晩までユーロミックスが超大音量で流れているのです。
ブログを描いている現在は「マイアヒ〜」の曲がかかっています。
同性愛は世界的に認められてほしいという願いはわかります。
そもそもワールドミュージックって何?
元来は地域や限られた人たちから始まって徐々に広まり、みんなに名曲として知り渡って大ヒットしたというのだろう。いまでは人気曲というよりも誰もが一方的に聞かされているものになっている。サブウェイやマックに行くと、ラジオやテレビで80年代から最近のワールドシンガーのプロモーションビデオが放映されまくって半ば強制的に聞かされている。
こう書いている今もアバの「ダンシングクイーン」が流れ始めた。


ワールドミュージックに関して、歌詞よりもメロディと歌手のルックスを契機に好きになっていませんか?だとすればワールドミュージックのメッセージってなに?メロディと詩が一体になっていないの?このメロディってスペイン系じゃない?だとしたらワールドじゃないジャン。
とかね、矛盾を数えればきりなくでてきます。

究極のワールドミュージックは、あらかじめ宣伝しまくって、原っぱに友人を集めて、「おれ様、ジャイアン」の歌を「ジャイアンのメロディ」で歌うことだと思います。特定の場所で、特定の人に、「オリジナル」の歌を歌う。音楽を広げるのと自分のアイデンティティを広げるのは同じ。


ただ単に私個人が
ワールドミュージックを使って全世界に訴えよう、という姿勢を好きになれないということです。イベントで大勢の人にメッセージを発信しようと思うのなら、「ワールド〜」は危険です。

なんかすっきりしない結論だけど、おしまい。