Capa展

午前はドイツ旅行の片付けと日本帰国の準備。

ブリュッセルに帰ると、カフェの雰囲気ががらりと変わっていた。欧米人は夜でも外で飲むのが好きらしい。室内の客は少なく、ほとんどが道のど真ん中にテーブルを持って座る。朝の3時までにぎわう。一人暮らしているこちらとしては人通りが多い分だけ安全でうれしい。


雑用ついでにCAPA展を見に行く。ユダヤ博物館と併設。サブロン地区のごくごく普通のアパート2件の室内を白く塗っただけの空間。

道路側と中庭を介して奥を1つの資料館としている。
中庭側のファサードは非装飾。
近所の屋根や外壁と空のコンストラストがきれい。この家は白が正解だ。



内部もごくごく普通のシンプルなスタジオで落ち着く。
蹴上部分はレースのような装飾のついたメタル面で、トップライトから透過する光がとてもきれい。バリケードのためのパイプ椅子が逆光をあびて偶然であるが象徴的にみえ、神聖な雰囲気だった。


以前曲淵先生の講義を思い出しながら、1932年からベトナム戦争までのCAPAの写真を堪能する。館内はそこそこ来訪者がいて、スーツを着た中年の2、3人組が目立った。

キャパの半生をまとめた30分ビデオを見る。
ロバート・キャパハンガリー出身。戦場カメラマンとしてフランス、スペイン、イタリア、ベルリンや中国、ベトナムなどを回る。
全体をみると、キャパがその時その時を伝える手法がわかった。全体をとらえるよりも人物の顔に焦点をあて、その瞬間の表情と写真の解像度の粗さが時間と状況を語っている。
「falling soldier」は当時の雑誌記事のサイズよりも額に入っているものの方がダイナミックでよかった。頭をぶちぬかれた瞬間の兵士の顔が真っ黒で見えない。右手から銃が離れた瞬間、手と銃はくろのグレインであらわされ、手と銃の間の空間は指2本分ほどドットがない。

日本にも来たことがあるらしく、こどもの笑顔やはにかんだ表情を撮っている。


キャパの略歴を見て、年齢にあせりを感じた。彼の活動、交際履歴は幅広く、若くしてなくなる。
19歳でブダペストを離れ、トロツキーの写真を現像し、
20歳でパリにわたり、女性写真家Taroと生活するが彼女は戦場撮影中に亡くなる。
23歳になった1936年からは世界が激動の渦に巻き込まれ、スペインのバルセロナビルバオで多くの写真を記録する。手をつないでシェルターに走り込む母娘、プロレタリア万歳の帽子をかぶった7,8歳くらいの男の子の顔アップの写真。つぶらな目をしている子供の顔はすごくクリアで、一度みたら忘れられない。

ドキュメンタリービデオではピカソやTAROを撮った写真、キャパ自身を撮った写真が多く、ときおりいらついた顔をみせながら、大半が笑顔で、つながったまゆげをあげて大きく笑っている。



これまでわたしは自分が写っていない写真には興味がなかった。キャパの半生を写真を通してみると、写真家自身のそのときの心境がうかがえたのは、それだけキャパが写真家としてすぐれていたということと、彼自身ひとをひきつけるものがあったのだ。人物の表情をみるとどの写真も目が輝いていて、撮影の際にファインダー越しに目をあわせていたんだろう。どんな状況下でも(弾丸が走るなかでも)ひととつねに向き合っている姿勢に感動した。