Liege

Liegeにクラスでいったときのこと

まずはどーんとカラトラバ


リージュのTGV駅です。

この建築はエラスムス生にはえらく悪評でした。
リージュの町並みを無視した、ホワイトモンスターだと。
写真映えするのですが、どこにいってもカラトラバ、リージュの町並みに調和していない、オーバースケールだなどなど。
ベージュやグレーのベルギーでこの白さとスケールの大きさは珍しい。


カラトラバのデザインスケッチは水彩で、人を描くのと同じように曲線美から建築におこす。ベルギーの施工事務所の話によれば、彼はデザインしたのちは打ち合わせは少なくデザインの変更もゆるさず、予算や構造・施工が困難だったそうです。とくにアーチのライズの低さによる風問題。




見学会日から2か月後リージュ出身の人に話をきくと、かれは故郷にこんな立派なTGV駅が建ってと感激しておりました。

TGVの新駅はパリやドイツとリンクできるようになり、それらの駅に負けないようなシンボルが必要だった。
また新駅のサイトは鉄道が街の境界で、南は傾斜地に建てられたランドスケープがよい低密度の住宅地、北は19世紀以前のクラシックな町並みを残した高密度の街。カラトラバは南北を結ぶ軸を通さねばならなかった。だから橋のような屋根をかけて下を人が流れるようにしたと。



エラスムス生、施工チーム、地元の話の違いを反芻した。

ふと疑問。

1.ランドスケープの評価は?

「ベルギーのまちには古いレンガ造りが調和する。よいコンバージョン例はたくさんある。
だからこそ新しいモニュメントはふさわしくない。」

この考え方はランドスケープ評価といえるのだろうか?自然の中に埋もれるのがよいランドスケープなのだろうか?


2.デザインにおいて建築が人間化しつつあるのではないか?

ヒューマンスケールではない=悪しき建築なのか?
巨大インフラはオーバースケールである。公共建築は機能メインであるから駅なら電車、パーキングなら車のスケールで設計する。
全体としては街の顔として大きく見せる。

天高が高すぎる、空間に無駄が多すぎる、建築規模がでかすぎる。
最小限の無駄で最大限の居住空間がえられることが果たしてすべてなのだろうか。

うまく言葉で説明できないのだけれども、
お母さんのお腹のなかにいたときと、トトロの大きいおなかの上で寝るのと、どちらがよいかというのは愚問だ。なぜなら別の場所・場所・状況にいるから。
人間に近いスケール、かたちがすべてではない。
トトロのような建築があってもいいのではないか。


都市においてどちらが評価されているのか。ヒューマンスケール?ランドスケープ? 調和こそがすべての評価基準となるのだろうか。