デザイン論 with オーナーさん@the city hall(市役所)
インテリアデザイナーの人と1対1でデザインについてしゃべったときのこと。フランス人40前後で、家のオーナーさん。
市役所に一緒についてってくれて、待ちの間3時間(!)彼がレクチャー(フランス人はおしゃべり好き!)。
オーナーさんいわく、デザインは20秒、経験はレイヤーだといっていた。
自分はさまざまなレイヤーを積み重ねてライフをエンジョイする。その上である日、ぱん!だそうです。
デザイナーが悩んだ末に出すもの、う○こでありアグリーだと。デザインとはよべない。
それは自分自身のミラーであると。
「
僕は折り紙が好きだ。
紙から形に起こし、つくりかたをひとからひとへ語り伝えていく。モノに精神を込めることの大切さを教える。
その話を聞いたときに好きになった。
しかし
できたものは醜いと思う。
すべての折り紙にかわいいと反応して作り方を教わる、それに何の意味があるのか。
ぼくは完成品を裏返したときが一番好きなんだ
」
わたしは
おりがみを折るのが好きでもきらいでもない。
かみが用意されていれば頼まれなくても折るだろう。
ただしひとつつだけ。
楽しくなればもうひとつつくろうとなるだろう。
今度はちがう色・大きさ・別の形
できるであろうものに対する期待と、
はさみを使わないというルールの下に最小限の動作を繰り返す単純なプロセスで毎回ちがうものができるから。
アイデアは数万のデータから「!」ででてきたもの。
デザインは「えい!」でできるもの。
そしてデザインはでてくるものだけれども、つねに更新され続けるもの。だしては捨てる工程を繰り返す。
アップデート数が重なると
彼自身の手でストップをかけるらしい。
時がすぎたあとでも やはりいいと思えるものを つくりつづけたいという。
デザインにはおわりがない、と。
追記
*ベッドを設計する建築家はいるのか、という某にっきの質問に対して
結論:
パターン化された日常からの再発見がデザインではないかと。
設計、留学の一人暮らしを通じて思ったのが、直感的にでたと自分で言えるのが
頭の中で「!」の形がでてきたとき。
ほんとうに「ッ!!」みたいなことがある。
わたしはパブロフの犬だから、「はっ」と顔に一瞬出してしまう。
言葉を用いて「I have a good idea!」、「いいこと思いついた」と表現したり
「起きよう!」と動詞をつかったりする。
直感的とは感受性とも違う。
無防備に身構えているとき何も考えてない時に突然やってくる。
直感(visceral) = 熟考(careful thought)というよりも強い感覚(strong feeling)からでてくる結果(result)