antwerpen

今さっき、同じくオースミプ・パリ組のponーさんのブログを読んで、姿勢を正しました。いい写真をとるなあ。いちばんは、建築を学ばんとする姿勢です。日常生活の写真にそれがあらわれているのだから、んー脱帽です。正直ベルギーの学校の規模の小ささにがっかりしてスタジオをなあなあでやろうとしていた私の心が洗われました。



今週したことは、、、木曜日に放課後ビール飲んでました。ポーランドの女の子と8人くらいで。

ポーランドのアガサの誕生日。ベルギー式にワッフルで祝いました。ケーキを回し食い。断ると”be polish!"と言われるよ。politeはポーランド人のようにって意味だから。


アントワープアメリカの同級生と行きました。サラさん31歳。ドラフティング学位、1年実務、ランドスケープ学位、1年実務、建築学位取得中と修業期間が長い。
アントワープは、ローマ軍の隊長、その名もブラボーさんが、河川通行税を拒んだ水兵隊の手を切り取った巨人、そいつの手を同じように切り落とし、川に投げ込んだこと(handwerpen)からきているらしいです。

15世紀に貿易港として栄えた港町です。ステーン国立海洋博物館は、もともとは海からの敵の攻撃から街を守るように、スヘルデ川岸に建てられた城。1520年にカール5世が拡張するも、1549年に市の所有として、1823年までは牢獄として使われたそうです。現在はアメリカへ渡った移民たちの歴史を展示しています。アムステルダムからアメリカへ渡る、レッドライン号が出航してました。当時の船内模型をみると、タイタニック号の3等客室のような二階建てベッドがぎっしりつまった客室と、床から天井まで積み重なった荷物室があり、期待と野心でいっぱいな反面、未開拓の地への不安が感じられました。思えば、ニューヨークの旧名はニューアムステルダム、そして初代大統領はルーズベルト。オランダは建築家をみてもチャレンジャーで野心に燃えた感じがします。やっぱ命がけで海を渡るくらいの生命力にあふれてるからかな。

アントワープ中央駅は、昔の映画に登場する典型的な駅のスタイルで、ネオバロック様式。「鉄の大聖堂」と異名をもつのもうなずけます。ものすごくきらびやかでゴージャス。屋根架構は大スパンの片側アーチを左右対称にピンでとめた、3ピンヒンジ。屋根はガラスで軽くみせる。対照的に床は大理石をはじめとした数十種類の石材を組み合わせています。

広場は観光客目当てのマーケットでにぎわい、港の方はクルーザを購入にきたひとたちあてにクルーザーの展示会がされています。

まちがったショッピングストリートに入りました。
1階の商店がすべてガラス張りで、ドアが3つずつついているお店が両側に展開されている。そして街は男性しか歩いていない。
おかしいなと思っていると、10メートル先に答えが。
店内をかざっているのはマネキンではなく、水着をきた姐さんがた。ガラスごしに男を誘ってる人もいれば、ガラスの中に化粧室やトイレもあって、化粧や着替えをしてるのはいい方で、どうどうと用をしてたりします。かなりショッキングだった。道にでて誘う方がまだ健康的な感じがします。なんかペットショップみたいで。ブリュッセルともまた違う商売方法でした。

あとはアントワープはカジュアルファッションでヨーロッパ注目を集めてるらしいので2着ほど買って帰りました。