ベルギー女性



文房具屋で新しく色鉛筆をゲットしたのでうれしくなって、いらないプリントの裏に書いちゃいました。
ここは紙が高い。。。。。画家が紙を買うお金がない、という理由がよくわかりました。スケッチブックが40ユーロ、、、クレイジー。質が悪くても、10ユーロ以上します。
コンプレインはおいといて



ベルギー女性のMyイメージ。
目鼻立ちがくっきりして、西洋人形のような容姿。
一見近寄りがたいが、話しかけるとにこやかにほほ笑み、やさしい表情で親切にこたえる。街ではコンサバスタイルの人はあまりおらず、カジュアルおしゃれを楽しむ。金髪、赤毛もいるが、黒髪・茶髪。どことなくトルコ系の香りが少ししてミステリアス。
西洋のなかにオリエンタルな雰囲気がいろいろ混ざっている。



ベルギーは純粋なベルギー人もいますが、さまざまな人種が混じっていて、トルコ・中東系、ギリシャ系、東欧系、イタリア・スペイン系、アジア系、アフリカ系、、、、。
ひとつひとつの要素ははっきりしながらも、人もモノも街も香りもすべてが混じっったり複雑に絡み合ったり、全体がつかめない不思議な魅力があります。
これという特徴を述べにくくて”あいまい”なんだけど、あくが強いものが入り混じっている。日本のような、ぼんやりといういみでの”あいまい”じゃないんだよね。(ボキャブラリが少なくて上手く説明できない。)
色が濃いものが多く存在しすぎてとらえづらい、っていうイメージ。日本の奥ゆかしいとは違って、ひとつひとつはすぐ捕えられても捕えるものがたくさんあるのです。



昨日Stuvoという社会学生支援団体(学校法人ではない)が大学付近を案内してくれました。聞いた話をそのまま訳すと、

ブリュッセル市内は、1950年以前はベルギー人が住居をかまえていた。当時の統治者は市内中心にハイウェイを作り南側(現在ジャンヌーベルのEU本部がある)をオフィス街とし都市をでかくする予定であった。しかしハイウェイ北側には住宅街が広がっており、反対の声が高かった。イタリア・ギリシャ人が移住して、ゴールデン60’s後に彼らは引き揚げてしまった。その後トルコ人がその場所に住みトルコ人街を築き、中心部ほど多国籍になった。
ベルギーの富裕層はスプロールしていった。
なぜ中心部が取り残されたのか。
答えはインフラが要因。当時の鉄道は北駅は(たしか)ドイツとつながり、南駅は(忘れた、オランダ?)とつながっていたが、肝心の中心部を通るインフラはほとんどなかった。いまでこそ(東京以上に)鉄道がブリュッセル市内まちのすべてのエリアを網羅しているが、一度貧民層が住んでいた家の価値は上がることはなく治安は悪化していった。

売春も中心部ほど多い。





<街の構成で興味深い点>

売春宿が多いと、夜中街に女性が立って売春がみられるとは意味が違います。宿は、たいていは娯楽として街がある程度認めたものです。売春は貧困、無秩序、街の不安定さから発生するもの。法的な秩序がそこにあるか、カオスな状態であるかという違い。
若い女性や子持ちの女性が夜中立ち、男性がひっかけていく。こうして街が崩れていってしまう、と危機感を抱いて、近年はお水の方なら中古の教科書を無料配布する、ナース専門学校の奨学金を出すなど国、地域共同体が積極的に動いてるらしいです。
元荒れ地を地域がお金を出し合って買い、公園化することもある。中心は緑が少ない。市内は鉄道、道路網が覆っているが、道の本数、・面積の割に街路樹の密度はかなり少ないです。(だからブルーノ先生はスタジオでファイバーシティをやっているのでしょうか?)そういえば学校に展示されている学生の模型やプレゼンであまり木はみられない。(日本の学生はカスミソウや木のシンボルでプレゼン密度をあげていますが)



ブリュッセル市内と新宿の共通点、相違点がいくつかありました。

・共通
ー売春
オフィスビル化して都市化を図る一方で、取り残された街の中心部の多国籍化
ーインフラ開発は常に続く(中心ばかり過剰じゃないか?)

ー政府・大企業は街全体のエコロジー化と秩序化を押し付けようとする。
ー言語の英語化(世界言語化

・相違点
ー売春宿それ自体の商業建築はない。グラウンドフロアはカフェや商店が大半で、2階以上の居住階でひそかに行われている。
ー現代建築は日本以上につまらない。(プロセスやシステムはまだ知らないのでそう言えるのかも。あくまで意匠的にね)
ー古いもの、とくにアールヌーボを取り壊して新しいもの作り直そうとするのは日本と同じだが、コンバージョン・リノベが多くみられる。



〜卒論の知識から〜(調査中に聞いた話なので、引用はしないでください)

売春宿は新宿は江戸時代から存在していたが、幕府から認められていなかったのです。吉原が唯一。しかし江戸城外、関所近くだから需要は多いのですね。お茶屋さん、食事処に、食女がいたんです。食事どころは給仕の女性は3人までですが、2階以上に住まわせていたらしい。政府の取り締まりがあるたびに彼女たちは転々としていったらしいですよ。

どこの都市でもライセンスがかかった商売を調べると、街の形成がなーんとなくわかる。