安息日

病明け。
先週末にオースミップ生10数名がブリュッセルに集合し(半ば強引に召集?)土曜日夜懇談。
プロジェクト内容や留学生活をみんなから少しずつ聞いて、みんな留学前と比べていい意味で変わったという印象。半年振りに再会し留学体験談を聞きスケッチブックをみては、うらやましく感じた。
こっちに来てから警戒心が強まりすぎて、日本にいたときよりも臆病になっていることに気づかされた。



午前ベルギーの友人と映画館へ赴き「ハウルの動く城」をフランス語オランダ語字幕でみる。
日本を出る前に2度みたが、ベルギーでみると新しい発見があった。

日本語の表現の多様性にあらためて気づく。”メルシー”の一言が「ありがとう(倍賞千恵子さんの若いおっとりした声)」「ありがとさん」「ありがとよお」「ありがとおう!」、「御苦労であった」、、、、
宮崎アニメはこの微妙なさじ加減を、キャラクターの表情そしてフィギュアで表現している。マルクル少年がマスクをかぶり「またれよ」という場面も"attemdenz un instant"しぐさと声から物々しい態度とわかる。


ベルギーの友人2人は場面展開が不思議だったらしい。はじめにスイスのやまのなかで動く城、ソフィの住む街は蒸気機関車がいつも黒い煙をあげて通過しイギリスの工業時代を思わせ、最後の王宮の場面はベルギーの広場と宮殿に似ている。


どこともしれない荒地の山奥をつぎはぎだらけの「動く城」、それと対照的に都会を象徴する鉄道。両者とも黒い蒸気をあげダイナミックエナジーを象徴している。その躍動感ある都市も城もストーリ後半は戦争によってすべて崩れる。

エネルギーに着目すると、非常に不思議。「城」は魔法で動いているとはいえ間接的であり蒸気で動かしている!
大気汚染・公害問題が社会的問題しされる以前、黒い雲が景気の象徴であった。という話を思い出す。
ソフィとかかしが緑の広がる湖畔で洗濯物を干す場面では、煙の代わりに青空に白い雲、空を映す湖をバックに「なぜだかほっとする」とつぶやく。

ふと自分の生まれたときから現在のメディアの変化をみると、ファックス、携帯電話、PHS,ポケベル、からいまではIphoneとたかだか(約)20年で劇的に社会が変わっている。ホテルを選ぶ際におもてなしよりもWIFIがつかえるかどうかを重要視していることに気づく。都市=コネクトツール(輸送手段、情報伝達手段を含む)の展開に流されている。
わたしはそれが悪いとは思わないし、都市を「自然に還」すことは都市の在り方を全否定していると思う。数年単位で変えようとすると破壊につながる。ブリュッセルの町並みを歩くとほっとするのは19世紀の一時期に建てたモダンな建物群の維持・保存を前提にしているからだと思う。